「暗黙知」という言葉を聞くと、多くの人は「文書化されていない知識」を思い浮かべます。実際、この理解は日本ではSECIモデル(野中郁次郎・竹内弘高)の普及とともに広く定着しました。しかし、暗黙知の原義に立ち返ると、話はもう少し複雑です。
暗黙知は、物理化学者・科学哲学者のマイケル・ポランニーが『暗黙知の次元』(1966)で提唱した概念で、「我々は語れる以上のことを知っている」という一文に集約されます。この暗黙知には、性質の異なる2種類が混ざっています。
1A かれていない知識
内容:コツ・手順・事例。語れば言葉になる、眠っている形式知。変換できる
2B 書けない判断
「なんか筋が悪い」の"なんか"。経験としか言えない領域。変換できない(原理的に)

Aはすでに解決フェーズにあります。動画マニュアル型、ナレッジ検索・RAG型、形式知化SI型——道具立ては揃い、実際に機能しています。ベテラン技能の形式知化が経済産業省/NEDOのGENIAC-PRIZE表彰対象(2026年4月)になったことも、この市場が公認された一つの証左です。一方でBは、Aが解けるほど輪郭がくっきりしてくる、取り残された領域です。
なぜBは記録できないのか
一人称視点の映像記録技術は、行動データを従来の数十倍の解像度で残せるようになりました。しかしカメラが捉えられるのは「手の動き」までです。何に違和感を覚え、何を見て、どう分岐したか——この思考のプロセスは記録されません。
さらに厄介なのは、本人にもその場では説明できないという点です。判断はすでに自動化されており、「なぜそう判断したのか」と聞かれて返ってくるのは、多くの場合、後から組み立てられた合理化にすぎません。だからBは、録画でも事後インタビューでも捕捉できないのです。
また、複数人の判断データを集めて平均するアプローチにも限界があります。攻めの強い営業担当と堅実型の担当の判断を平均してしまうと、どちらの強みも消えてしまいます。実務で価値を持つのは平均像ではなく、「この人ならどう判断するか」という個人に紐づいた判断だからです。
tacit-distill農法という方法
このBの領域に取り組む方法として体系化されたのが、tacit-distill農法です。ベテランの言語化されていない判断を、AIが実案件から生成する「逆設問」に本人が答えることで蒸留し、育つ判断資産(ghoost)として組織で運用し続ける方法と定義されます。
名称に「農法」という言葉を使っているのには理由があります。判断は製造できるものではなく、育てることしかできないという考え方に基づいているためです。提供する側がコントロールできるのは、どんな問いを投げるか、どんなサイクルで聞くか、どう検収するかという「環境」だけであり、実際に成長するのは本人の中にある判断の言語化そのものです。
この手法は、認知科学の分野で1989年に提唱されたCDM(Critical Decision Method)を系譜の起点としています。CDMは軍事指揮や消防、救急医療の現場で約40年にわたり実証されてきた手法ですが、熟練したインタビュアーが1人あたり数十時間をかける必要があり、スケールしないという課題がありました。2024年以降、LLMが問いの生成を自動化したことで、この課題が解消されつつあります。

人類は5つの経路を試してきた
暗黙知への取り組み方は、大きく5つの経路に整理できます。自己申告(インタビュー・逆設問)、行動計測(映像・センサー)、共体験(徒弟制・OJT)、痕跡逆算(ログ・模倣学習)、集団創発(デルファイ法・ピアレビュー)です。それぞれに固有の限界があり、たとえば行動計測は判断そのものが見えず、共体験はスケールしません。

tacit-distill農法は、この中の「自己申告」を土台にしながら、他の経路の要素も取り込む形で設計されています。実務で導入する際は、まず自社の暗黙知がA(書かれていない知識)なのか、B(書けない判断)なのかを切り分けるところから始めることになります。
より詳しい定義・全体地図・5工程・料金体系・できないことの明示については、下記のリンクにまとまっています。
関連リンク
よくある質問
1Q. 暗黙知とはそもそも何ですか?
言語化されないまま人の中で働いている知のことです。物理化学者・科学哲学者のマイケル・ポランニーが『暗黙知の次元』(1966)で提唱した概念で、「我々は語れる以上のことを知っている」という一文に集約されます。
2Q. SECIモデルで暗黙知はすべて継承できますか?
できません。SECIモデルが対象とするのは「書けば言葉になる知識(A)」の継承です。「聞かれるまで本人も気づかない判断(B)」は、表出化そのものが原理的にできない領域です。
3Q. 動画マニュアルやナレッジ検索(RAG)で暗黙知は継承できますか?
Aの領域(書かれていない知識)には有効ですが、Bの領域(書けない判断)には機能しません。行動は記録できても、頭の中の分岐点(何に違和感を覚え、どう判断したか)は記録されないためです。
4Q. tacit-distill農法は、既存の手法と何が違いますか?
認知科学の分野で1989年に提唱されたCDM(Critical Decision Method)を起点としています。CDMは軍事指揮や消防、救急医療の現場で約40年実証されてきましたが、熟練インタビュアーが1人あたり数十時間かける必要があり、スケールしない課題がありました。tacit-distill農法は、LLMが問いの生成を自動化することでこの課題を解消しています。

