がん研究の中核拠点である国立がん研究センター。同センター研究所の医療AI研究開発分野では、大規模言語モデル(LLM)を活用してがん診療を支援する研究が進められています。
約3,000万件におよぶ医学文献をAIで構造化するという構想の実現には、強力なGPU環境を一定期間占有することが不可欠でした。しかしGPUの需給は世界的に逼迫しており、使いたい時期に必要な計算資源を使えるとは限りません。
クラスメソッドは、Amazon EC2 Capacity Blocks for MLを活用した計算資源の確保と、その安定した利用を支援しました。プロジェクトについて、研究を主導した小林さんにお話をうかがいました。
一人の医師では追いきれない医学文献、がん医療の「均てん化」という課題
国立がん研究センター研究所の医療AI研究開発分野は、AI技術の医療応用に取り組む部門です。小林さんはもともと、がんの放射線治療にあたる臨床医でした。放射線治療は物理学・生物学・医学を横断した知識を要する診療科であり、他の医療分野にくらべてコンピューターを活用する場面も多くありました。
「昨今のAI技術や情報科学の進歩発展を見るにつけて、臨床医としての課題意識を持った上で研究開発に従事すれば、新たな価値の創出に貢献できるのではないかと考え、研究の世界に飛び込みました」(小林さん)
2018年に研究職となって以来、医療向け大規模言語モデルの開発と応用から医療画像解析まで、医療AI研究に幅広く取り組んでいます。
小林さんが課題と捉えていたのは、「エビデンスに基づく医療(EBM)」を実践することの難しさです。がん治療では、学術コミュニティのコンセンサスを得た信頼性の高い文献に基づいて診断や治療方針を決めることが基本とされています。しかし世界中で医学研究が活発になった現在、その前提は揺らいでいます。
「一人の医師が常に最新の医学文献の情報を漏れなく理解して、エビデンスに基づく医療を実践していくのは、なかなか難しくなってきています。そこで、幅広い文献に基づいて適切な診断や治療法を見つけるための支援ツールを、LLM駆動型で作れないかと思い立ちました」(小林さん)
背景には、がん医療の「均てん化」という社会課題もあります。がん治療の拠点となる病院とそれ以外の病院との間には診療の質の差があり、その差をならして全体の水準を底上げすることが求められてきました。
「どのようなところに勤務している医師にも、最先端の標準治療に関する情報に高いアクセシビリティを提供できれば、がん治療の質の全国的な『均てん化』に貢献できます。患者さんがどこにいても、質のばらつきのない医療を受けられるようになるはずです」(小林さん)
「計算資源を確保しているチームが勝つ」3ヶ月で3千万件を処理する計算リソースが必要
この構想は、経済産業省とNEDOによる生成AIの社会実装を促進する実証開発事業「GENIAC」に採択されました。医学生物学分野の約3,000万件におよぶ文献情報をGPUと最先端のオープンモデルで構造化し、質問に対してLLM自身が外部データベースから根拠となる文献を検索・取得して回答するRAG(検索拡張生成)システムの構築を目指すものです。
関門となったのが計算資源でした。この規模の処理には、H100/H200クラスのGPUを8基搭載する計算ノードを、ある程度の期間にわたり占有的に利用することが不可欠です。
「手元にローエンドのGPUは持っていましたが、それでは非現実的な時間がかかる処理です」(小林さん)
一方で、GPUの需要は世界的に逼迫しています。開発時に計算量をかけるほどモデルの性能が上がるため、AIに取り組む企業や研究機関が大量のGPU確保に奔走しており、必要な規模のGPUを使いたい時期に使える難易度は年々上がっているのが現状です。
「研究者にとってLLMは、もはやなくてはならないインフラになっていて、それはGPUなしには動きません。『計算資源を確保しているチームが勝つ』という側面が大きいのです。もしGPUをしっかり確保できなかったら、LLMの性能や効率を十分に発揮できず、プロジェクトを完遂することは不可能だったと思います」(小林さん)
期限と予算が定められた研究において、必要な時期に計算資源を使えないことは、計画そのものを揺るがします。研究に着手する前に、3ヶ月という期間の計算量を見通しておく必要がありました。
必要な期間のGPUノードを確実に押さえる
「最も重視していたのは、トータルとして得られる計算量です。どのGPUインスタンスをどれくらいの期間利用することができるのか、というところが一番重要でした」(小林さん)
「クラウドのインスタンスですから物理的なスペースも取らず、利用開始までの時間が非常に短かったですね。オンプレミスだと、機材が納品され、セットアップを終えて使い始めるまでにかなりの時間がかかるところです」(小林さん)
計算資源の空きを待つことなく研究計画を組み立てられたことが、3ヶ月という限られた期間で成果を出す前提となりました。
トラブルゼロで大規模処理を完遂、エージェント型RAGの構築まで到達
確保した計算環境で、約3,000万件の生物医学系文献の構造化とRAG用データベースへの変換を完了。さらにオープンLLMと組み合わせ、問い合わせに応じて最適な文献に基づき回答するエージェント型RAGシステム、AIが自ら検索を繰り返して詳細なレポートを返すディープリサーチ型システムの構築まで到達しました。
「わずか3ヶ月で完遂できたことで、今回お借りしたGPUノードの非常にパワフルな計算能力を実感しました」(小林さん)
大量の文献を処理する今回の研究では、長時間の大規模なジョブを繰り返し実行する必要があり、計算環境が安定して動き続けることが成果を出す前提条件でした。
「利用期間中、誤作動やトラブルは一切ありませんでした。大規模な処理でも、長時間ジョブを投げられる安心感の中で使うことができました。また、GPUリソースの事前確保によって、期間内に想定通りの開発目標を達成することができました」(小林さん)
開発したAIシステムの評価も、臨床の観点から行われました。診療ガイドラインに推奨治療と根拠文献が明記されている「臨床疑問(クリニカルクエスチョン)」をテストケースに、システムの回答を検証しています。
「治療推奨の結論部分と、根拠文献の選定という2つの軸で評価したところ、結論部分については妥当なものが得られました。根拠文献の選定のマッチ精度が、次の研究ステップの課題です」(小林さん)
構築した文献データベースは、今回のRAGシステムにとどまらず、他の研究課題にも転用可能な資産になったと小林さんは話します。
診療ガイドラインのAI駆動構築を目指して
根拠文献の選定精度を高めることを次の研究ステップとしながら、小林さんはさらに先の展開も見据えています。
「うまくいけば、これまで人間のエキスパートの手で文献情報を統合して作られてきた標準治療の体系——診療ガイドラインのようなもの自体を、AI駆動型で構築することが、そのうちできるのではないかとチームで話しています」(小林さん)
医学分野には診療情報など外部に出せない機微情報も多く、自前の環境にGPUを確保してモデルを運用・解析するニーズは今後さらに増えていくと小林さんは見ています。研究のインフラとなったLLMとGPUを、限られた期間の中でいかに確保し、安定して使い続けるか。研究の広がりとともに、計算環境に求められる要件も変わっていきます。
「クラスメソッドさんの利用者向けポータルサイトは、AWSを利用する上で非常にわかりやすかったですし、常にスムーズかつ柔軟にご対応いただきました。クラウドの計算資源を確保するのは私たちにとって初めての経験でしたが、大きなトラブルなく実施することができました。こうした丁寧なご対応は、クラスメソッドさんならではだったと思います」(小林さん)
クラスメソッドは、がん医療の発展を通して患者さんに貢献する研究者の挑戦を、これからも最適なクラウド環境で支えてまいります。


